今の気持ちは、
ようやく落ち着いた。

そしてとても長い期間、
気が張っていた分、
疲れが出てきた。

別れというものを受け入れるのに
ここまで苦労した関係は
死別以外では初めてのこと。
それだけ深かったのだ。
憎悪に変わって
すべてが終わった。

ブログだから
一方の話でしかないが、
とにかく漫才のように
たのしい時間が続いた。
同い年だったし、
感覚も似ていて、
おしゃべりが尽きることはなかった。

女同士

うん、こんな関係だったと思う。
ずっと笑ってしゃべっていて。

それが6年も続いたのだから、
なんとも甘美な時間だったと思う。
(途中途中ケンカはしてるから、
1、2か月分くらいは差し引いても)

本当に終わったんだと
悟ったのは実は今日なのです。
ギリギリまで
めまぐるしい動きもあったのです。
それは猫をめぐって。

日本初かはわからないけれど、
猫の親権をめぐる争いに
発展していたかもしれない
本当の話なのです。

ふたりの中に
猫がいなかったら、
こうはならなかった。

猫に会う権利を奪ってはいけない

そう思っていました。
けれど最終的には、
もう何も頼らない関係、
私がひとりで育てる決意と共に。

おかあさん、注射代稼がないと。
ひとり扶養を抜けたけど、
東京の長女、自宅の双子の姉妹。
娘3人の母であり、
あ、忘れてたけど中年の犬の
養母でもあります。

笑ってしまうのは、
ドレミ史において、

今年、ようやく娘が成人した。
その喜びというか安堵は
何度も記事にしてきた。
そして患っていた父を昨年亡くし、
無事一周忌も終わった。

私にとってこれからは、
「自由な時間」だったはず。

けれどですよ、
双子はまだ1歳なのです。

何年生きてくれるか
わからないけれど、
現在43歳の私。
10数年生きてくれたら、
定年までのお付き合いです。

そりゃおかあさん、
最後までがんばって働かないと。

はい、ここで
仕事のさらなる必要性が
生まれるわけです。
迷いが消えます、
働かないと餌買えない。

人間と違って
いつまでもこどもですから、
私の健康状態にかかってくる。

娘が成人したとき、
「いつ死んでも大丈夫」だと
思ったばかりなのに
ダメなんです、
犬猫を看取るまで
元気でいないと。

そこで、生きることの必要性。

猫が好きだけど
猫を飼えなかったのは、
ひとりでは無責任な結果になると
思ったからです。
ひとことで「余裕がない」という。

6年間、支えてくれた人が
もういない。
私はここでまた
しっかりとしなければならなくなった。

幸い、友達がついていてくれます。
近くにはやっこさんも住んでいますし。
連日、離婚報告会のように
職場まで友達が車で迎えに来てくれて
会っていますし、
夜もたくさんメールが届きます。


いつだって甘えていい!
明日のことはわからない!
今、元気な私も
明日、(だんなさんを)失って
悲しみの淵にいるかもしれない。
その時には力をちょうだいね。
だから今、甘えなさい!

怖いことがあったら
夜中だってすぐ飛んでいく。
安心していい。
みんなで助けに行く。
だから安心して鍵閉めて
とにかく寝て!

それはあなたがそれまでに
作ってきた人脈であり、
あなたの良さなの。
何かあったら守りたいって
うずうずして待ってる人たち
いるんだから、
遠慮しないで。


泣けちゃうでしょう。
愛に。
何もしてないのに、
そう思ってくれるって
力になる。

だからもう大丈夫だ。


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