今日も全員で残って、
今月の目途が立ちました。
マンパワー。
黙々とそれぞれがゴールを目指す。
嫌でやってる人がいない。
いい環境です。
この仕事を請け負う全員が
同じ気持ちで働いているのがわかります。
私がいた那須にいる3人も
誰も見てなくても生真面目にコツコツと。
そして誰のためって、
みんな同じことをいう。
「上」=お客様のため。

自分の会社のため
という姿勢が見えないから
鬼は嫉妬もするし
イライラします。

けれどそれは、鬼の力不足だと
思います。
会社を潤したい
ではなく、親切にしてくれる
お客様に迷惑をかけたくない
その一心です。

お客様=私が公私ともにお世話になっている
古巣のことです。
私が派遣をしていた会社です。
けっしてそこの人間になったような
勘違いはしていません。
とてもとても…
そんな力はありません。

ただそこに壁を作らずに
今でも親切にしてくれる
気持ちのいい集団が
古巣のひとたちです。
退職したじいちゃんから若手まで、
私の人生に潤いをくれる。
本当にほんとうにありがたい。

10人以上、20人近いのか
ただの知り合い以上の
距離感でとても親しくしています。
私の親しいの定義は、
2人きりでも会える人。
話せる人。
やり取りできる人。

学生時代の友達も財産です。
ママ友として出会った友人も宝です。
けれど仕事で出会った人たちは、
生き様を表しているような
気がします。

とてもうれしいことがあったので、
『一番搾り』を飲み干し、
ちょっと長く日記を
書きたくなりました。

そんなにおもしろいことは
書けないと思いますが、
大切な備忘録として。
                                                                                           

7年半くらい前の失業の前日の日記


だい、だい、大好きだった
設計の仕事。
震災後、派遣の私にも
終了の日が来ました。

毎日がたのしくて、
もしかしたらとても不幸な
人生だったかもしれないのに
そんなことを一切忘れてしまった出会い。

遡ればそこに送り込んでくれた
フロ友『Iちゃん』に感謝です。

夫と死別するまで、またした時に
働いていた場所は
尊敬する人ばかりで、
男性も女性も本当に優しくて、
私にはいい思い出しかありません。
同級生のかこたんに感謝なのです。
声をかけてくれたので。
出たり入ったりしながら、
そのたびに「古巣」でがんばることを
応援してくれた場所でもあります。

人生って感謝の連続。
こんな私に居場所を作ってくれて
ありがとう。

就職したこともない。
本当に仕事なんてできるのか?
遡ればさらに1つ前の
自分の生まれ育った街の仕事が
またきっかけをくれた。
そこも友人Yからの声掛けで
始まった。

私は自分を売り込めるスキルなんて
なにもないから、
居場所を紹介されたら
条件なんて二の次。
いつも私でいいんですか?
という気持ちで働いてきた。

そうやって27歳から45歳まで
働いてきたのです。

ちなみに27歳になるまでは
たくさんのバイトをしました。
一番熱を入れていたのは
中学生の家庭教師です。
私の母も働いていたので、
夜、2、30分かけて
子供を預けに行き、
そこから生徒さんの家に行って、
2時間ちょっと過ごして
また迎えに行くのです。
実家兼託児所は、
ごはん、フロ、遊び付。
帰りの車では寝ちゃうから、
2人を順に運んで。

ダンナは?って思うでしょ。
うちのダンナ様はその頃ほぼ
午前様だったので、
22時頃私が先に
真っ暗な家に帰宅していたのです。

若いからできた。
子供たちは覚えていないだろうけど、
夜道を毎日のように
往復させられてさ。

それだけ生活するのに
必死だったということだ。


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