昨日の宴会での会話を思い出した。

親子で参加していた母を晶さん(仮名)
北斗晶さんから取って。

晶さんに「猫を2匹飼ってるんです。」と
言ったら
「うちにもいるよ。
最初1匹飼ってて、娘が拾ってきて
2匹になって、
最初の子がある時戻らなくなっちゃって。」

悲しげな顔。

その時息子が
「俺ね、このひと(晶さん)死んだら
さすがに悲しむと思うけど、
ぶっちゃけー、猫死んでも悲しくない。

(動物愛護団体や各種団体様の
目に留まって、怒らないことを
祈って続けます。そんな読まれてない。)

だってさ、猫なんて俺にとっては
物だよ。
あ、死んじゃったんだねくらい。
せいぜい10何年しか生きられない。
最初から自分より先に死ぬの
わかって飼ってる。
人間とは違う。」

私「それさ、私には必要な考えかも。
私ね、たぶん猫が死んだら
おかしくなると思うの。
自分でも自信がない。
完全に支えられてるからさ。
だったら洗濯機や冷蔵庫みたいに
10何年長持ちしてくれたね。
ありがとう
って割り切るのも
私みたいなタイプには大切かもしれない。
できないけど、そういうドライな
部分が必要って意味で。
ねえ、猫死んじゃったら
電話していい?
そして同じこと言って。」

「猫なんて変な話、
虐待したっていいわけじゃん。」

「いやいや、器物損壊罪だよ。
あ、法的にもやっぱり「物」扱いか。」


猫ちゃんが待ってるから帰るね
と1次会で切り上げた時、
一緒にバス停まで送るというので、
そこでまた猫の話をした。

「猫ちゃんが待ってるから
遅くならないようにしてるの。」

「ドレミさん、俺、謝る。
だってさ、ドレミさんにとっては
猫が大切で、家族なんでしょ?
支えなわけじゃん。
俺の言ったこと忘れて。」

「ううん、違うよ。
私、そういう考えもあるって
知れて、勉強になった。」

24時間後にその話を思い出した(^^;)

わかってる悲しみに
立ち向かう時が来る。
立ち直らなくていいって
やっぱり思ってしまいそうだけど、
寄り添ってくれる人も大切だし、
きつい言葉で奮起させてくれる人も
どっちも大切にしたい。

それは人の死に接した時に感じた。
きつい言葉、その時はぐさって
くるもの。
でもあれも真理だったし、
そういう言葉こそ、
いつか思い出した時に理解できる。
優しいことを言うよりも
きついことを言う方がつらいこともある。

いろんな形で
応援、心配してくれたことに
感謝を忘れてはいけない。


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